中萩小学校の歴史 ①
2020年4月21日 10時15分今日から臨時休業となり、子どもたちの活動の様子をお知らせすることができません。そこで、これを機に中萩小学校の歴史を振り返ってみたいと思います。
中萩小学校は、明治26年(1893年)に、仁寿校(中村)と培養校(萩生)が合併して中萩尋常小学校となりました。
当時の小学校令によると、尋常小学校の位置は、児童の通学距離が1里以内(4Km以内)と定められていたので、中村と萩生を合わせた中央部に決める必要があったため、現在の敷地を選定しました。旧国道より南側に決まったのは、大永山の住民への配慮だったとも記されています。
東校舎56坪、西校舎70坪と付帯施設が建築されたのですが、当時は、国や県からの補助金は全くなく、中萩村にもこれを支出するだけの財源はなかったそうです。そこで、村民の寄付に頼るしかなかったのですが、村民の善意が集まって建設され、明治26年4月26日に、新居郡中萩村立中萩尋常小学校が開校しました。児童数:273名
開校時の校舎